よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

はじめに

小さい頃から架空の博物学のようなものが好きでした。よく自分でも架空の図鑑を描いて楽しんでいました。そういうのを全部置いといたらおもしろかったのにな、と今では思います。
今でも覚えているものといえば、架空の「化石図鑑」の一項目で、「パッタリトンボ」というのを書いたことくらいです。そいつは翼長1.5メートルくらいあるトンボで、重すぎてうまく飛べず、バタバタっと羽ばたいてすこし飛び上がるとパッタリ落ちてしまう、というものでした。

世の中には、似たような嗜好の人々は多々いるもので、ちょっと思いつくだけでもK・スギャーマ博士のノーダリニッチ島関係の図鑑(博士の名前自体ウソくさいですね)、レオ・レオーニの『平行植物』、スタニスワフ・レムの『完全なる真空』、ボルヘスの「バベルの図書館」(同名の文学セレクションとは異なる)、ドゥーガル・ディクソンの『新恐竜』、ロバート・マッシュの『恐竜の飼い方教えます』、ハラルト・シュテュンプケの『鼻行類』、小林 信彦の『ちはやふる奥の細道』、最近ではクラフト・エヴィング商會の一連の仕事なども浮かんできます。
『恐竜の飼い方教えます』と『新恐竜』は、架空本というより科学的なシミュレーションと言えるかもしれませんが。

小説は多かれ少なかれフィクションなのでウソで塗りかためるものですが、それとはちょっと違うかもしれません。
たとえば熱心なシャーロキアンたちのように架空とわかっていても実在するものとして扱う、そんな心根。そういうものを作りたくなる人のココロが好きです。書いている最中は、ほとんど実在と化しているのではないでしょうか。
読み手とすれば、実在の恐竜を知っているわけでもなし、ホームズに捜査を依頼したこともなし、植物だって動物だってごくひとにぎりのものしか知らないし、正直なところ、架空も現実もさほど変わりがあるわけではありません。
ここはやはり、そういうものを作ってしまう人のココロを感じ取って楽しんでいるのだと思います。

うまくいけば、次回からは上に取り上げたような作品について書いてみたいと思っていますが…まだ書けるようなことなにも思いついていないのです。これは困った。リストの中に架空の本を忍び込ませたりしてね…あるかも?

死の側から見た生の思い出(3)

(2)長篇小説(ロマン)とは
 その他の堀辰雄さんの作品とはなにかしら異なるところがあるように感じたのには、前述の「小説のことなど」を読んで、いちおうの解決をみました。
 それまでの彼の小説は次のようだったでしょう。

活きた混沌からひとつの小さな秩序を得ることをその本分とする短篇小説(後略)

 こぢんまりした、宝石箱のような作品たちです。うつくしい完成度で読者を魅了しますが、より拡大される物語=世界への可能性を拒んでいました。
 ここでは作者の意志が全体を支配しています。作者の美意識がすべてでした。
 そして、結局のところ、堀辰雄さんの作品はここからはみ出ることはできなかったのだろうとは思います。「菜穂子」ですら!

矛盾したそれぞれをはつきり分離させて、それぞれ異なった性格を負はせ、そしてそれぞれを思ふ存分に活動させることをその本分とする長篇小説(後略)

 これが堀辰雄さんのめざした長篇小説(ロマン)*1で、「菜穂子」はおそらくその線上に完成しました。そこでは登場人物たちは作家の手を離れ、自らの生を主張しはじめます。だから無秩序になるのですが、底に作家じしんのいのちのあらわれがあるかぎり、無秩序の秩序となり得ます。すなわち、これは、作家と登場人物たちとの忍耐のいる格闘なのです。
 そのとき、「自分に苦手な人間は書けない」とどこかで漏らしたというひと言が、敗北の宣言として切実で重いものだったことに気づかされます。
 それにしても、「菜穂子」は、堀辰雄さんのいう長篇小説に一等ちかいものとしてここにあります。

*1:長篇、短篇といっても量の多寡というだけではありません。タイプとしてです。詳しくは「小説のことなど」参照を。

クールにいこう(2)

(2)そもそもこれはミステリなのか?
 ミステリでは、世界に現実感がなければなりません。
 言い換えれば、やれることにかなり限界を設ける必要があるのです。たとえ、舞台がファンタジー世界であっても、SF世界であっても。たとえば異常な世界での犯罪を作り上げている西澤保彦さんあたりでも、限界を作るのに腐心しておられるようです。それによって、リアルさが出てくるのだと思います。限定条件をいつもうまく付けるなあと感心します。

 ところが、森博嗣さんの世界は、舞台そのものはほぼ我々の住むこの世界なのにも関わらず、奇妙に現実感がありません。
 それは、登場人物たちのせいです。彼らは現実世界を背負っていない。うっかりすると何でも起こり得る世界になってしまいそうです。

 真賀田四季さんのような超人間もいれば、瀬在丸紅子のような市井の貧乏美人天才科学者しかも元貴族?もいる。小鳥遊練無のような女装の美少年。かれに拳法を教えるカンフー映画に出てくるような老人。関西系ひとり漫才少女。保呂草潤平のような怪盗。祖父江七夏のようなボディコン?女刑事、森山周一郎さんが声をあてそうな渋い刑事の林。容姿端麗頭脳明晰超美少女家柄抜群大金持ちで世間知らずで一人の男を愛し続ける西之園萌絵、しかも執事付き。ほとんど感情の動かないようでセリフが天然系しかしメチャクチャ明晰な助教授の犀川創平。
 こんな連中が集まって、リアリティが出ると思います?

なつかしむひと(2)

なつかしむひと〜中村眞一郎中村真一郎)・四季〜

(1)かれは回想の語り手でした。(ノオトA)

(ノオトA)
 絶えることなく「現在」が「過去」となって消えていきます。
 瞬間瞬間に味わった体験が、どこかにひっかかってしまったものを記憶(a1)というならば、その後の時間上を旅している「現在」、ふたたび記憶を、どうにかして微かにでも知覚するのが回想(a2)だとでもいえるのでしょう。
 ただ、ぼくが惹かれるのは、べつに記憶と回想とやらのかかわり、その性質、構造なんていうものでもなく、「なつかしいなあ」と、そのひとことで告げられてしまう気分そのものなのです。
 ぼくは、なつかしさがやってくる瞬間をことに愛してしまう類の人間です。過ぎ去り滅びてしまった時間のかなしげなはかなさを、それ故にいいものに感じるのです。ちょっぴり恥ずかしいセリフですけど。
 ともかく、そんな甘さがこの文章になるのだし、当然それは常に底を流れる音なのです。

(a1)記憶>
 ひとは五感に味わったこと、頭の中のはたらき、感情など、知覚しうるすべてのことを記憶として保ち得る可能性を持っています。できごとの発生したとき、それを意識するしないは別として。
 そしてよみがえる思い出はその中から何らかの原因によって取捨選択されるわけです。
 「記憶」は、「体験」あるいは「経験」と言い換えることもできるでしょう。

(a2)回想>
 心理学あたりではこの言葉をどういう意味で使うのでしょう。門外漢でわかりませんが、思い出し方のひとつの具合でも表すのでしょうか。
 でも、個人的には単純に好みで、ごく曖昧な意味で使っていくつもりです。追憶という言葉に取って代えてもいいでしょう。以降も気ままな言葉遣いに終始します。学問的な厳密さを添えるつもりはありません。
 正直言うと、心理学というのには、なんとなく心をそそられるところもあって、つきあい始めたらキリなさそうに思えるので、避けたいのです。厳密にやっていくと、ややこしくなりそうでもありますし。
 まあ、しょせんは主観的な分析をしていくだけですから。

死の側から見た生の思い出(2)

(1)「菜穂子」はどこかちがう
菜穂子・楡の家 (新潮文庫)
 堀辰雄さんの作品をはじめて読んでから、もうずいぶんになります。近しさを感じたものです。
 でも、近親憎悪という感覚も同時に味わいました。眼をそむけても見えてしまう少女趣味じみたものをイヤだと思いつつ、やっぱりどこかで惹かれていたのです。
 ある女性に「アンタは堀辰雄、好きなんやろ」と問いかけられ、一瞬口ごもりつつ、「いや、嫌いなんやけど、菜穂子だけは気に入ってる」そう答えました。ホントカナア…と自問しつつ。ホントハ全部好ナンジャナイノ?と。
 それにしても、「菜穂子」には羞恥心をくすぐらない何かがあります。

クールにいこう(1)

(1)森博嗣さんのミステリの魅力とは?
 森博嗣さんの魅力はなんでしょう。
 ミステリとしておそろしくすばらしいかといえば、そうでもないでしょう。水準以上だとは思いますが。
 物語性があるとかストーリーがすばらしいとか、そういうこともないでしょう。
 文章がすばらしいかといえば、むしろたどたどしい。もっとも、それが魅力にもなってはいるのですが。
 さまざまな不備にもかかわらず、現在もっとも好きな作家の一人なのです。不思議なことです。

 やはり、いちばんの魅力は登場人物たちのクールなもの言いではないでしょうか。地の文そのものもクールですね。
 最近よくあるタイプ、キャラクタ優先型のミステリなのに違いはないのですが、そこらが他のキャラクタ小説とは一線を画する部分でしょう。

 登場人物たちの吐く意見。クールな視点から偏見や先入観念をはずして語られる考え方。そこでカタルシスを得られるのです。
 作者の意見が登場人物とまったく同じだろうなどとは考えませんが、アプローチのかたちはおそらく同じでしょう。養老孟さんあたりと似たところもあると思います。
 そう、森博嗣さんの小説は、発想法そのものを見る書、哲学の書でもあるのです。人によっては人生が変わる書物ですらあると思います。