クールにいこう(2)

(2)そもそもこれはミステリなのか?
 ミステリでは、世界に現実感がなければなりません。
 言い換えれば、やれることにかなり限界を設ける必要があるのです。たとえ、舞台がファンタジー世界であっても、SF世界であっても。たとえば異常な世界での犯罪を作り上げている西澤保彦さんあたりでも、限界を作るのに腐心しておられるようです。それによって、リアルさが出てくるのだと思います。限定条件をいつもうまく付けるなあと感心します。

 ところが、森博嗣さんの世界は、舞台そのものはほぼ我々の住むこの世界なのにも関わらず、奇妙に現実感がありません。
 それは、登場人物たちのせいです。彼らは現実世界を背負っていない。うっかりすると何でも起こり得る世界になってしまいそうです。

 真賀田四季さんのような超人間もいれば、瀬在丸紅子のような市井の貧乏美人天才科学者しかも元貴族?もいる。小鳥遊練無のような女装の美少年。かれに拳法を教えるカンフー映画に出てくるような老人。関西系ひとり漫才少女。保呂草潤平のような怪盗。祖父江七夏のようなボディコン?女刑事、森山周一郎さんが声をあてそうな渋い刑事の林。容姿端麗頭脳明晰超美少女家柄抜群大金持ちで世間知らずで一人の男を愛し続ける西之園萌絵、しかも執事付き。ほとんど感情の動かないようでセリフが天然系しかしメチャクチャ明晰な助教授の犀川創平。
 こんな連中が集まって、リアリティが出ると思います?