よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

翻訳者によって

むかし国書刊行会の「幻想文学大系」で読んでめっちゃおもろいと思ったヤン・ポトツキの『サラゴサ手稿』という本があるんやけど、そのときこれは部分訳やって知って、完全版が出たら買おうと思ってて、わりと最近になって岩波文庫から上中下の三巻本が出たので買おうとしたところで、おもろいと思ったときの工藤幸雄さん訳ではなく畑浩一郎さんて方の訳やと気がついて、デキの良し悪しとかいうのではなく翻訳者と自分との相性の関係でおもろく感じられへんかもしれへんなあとちょっと躊躇してたんやけど、選択の余地もないししやーないかと諦めて買おうと決心したとき創元ライブラリでその工藤幸雄さんの全訳が出るゆう話を聞いてそっちを待とうかと思ったんやけど、畑訳はたぶん「完全版」てやつを翻訳したもので、工藤訳はいわゆる「異本」となってるものを翻訳したもののようなんでどうしようかなあ、とまた悩み中。でも、異本やから悪いってわけでもなく、ぼくにとっておもろけりゃそれでええんやしなあ。

たとえば蒲松齢の『聊斎志異』はとても愛してる本なんやけど好みなのは最初に読んで刷り込まれた柴田天馬さんの訳なんであって、他の人の訳も読んではみたけど「なんかわりと普通」って思ってしまったり。原文を読むチカラがない場合やと訳者の存在ってかなり大きいんやなあ。

ともあれ『サラゴサ手稿』は創元ライブラリ版の上中下三巻が出揃ってからまた考えようとも思ってます。完結してくれてないと手が出しにくいので。岩波文庫版は電子書籍でも出てるようなので絶版で入手できへんなったって事態にはすぐにはならんやろうし。