よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

死の側から見た生の思い出(3)

(2)長篇小説(ロマン)とは
 その他の堀辰雄さんの作品とはなにかしら異なるところがあるように感じたのには、前述の「小説のことなど」を読んで、いちおうの解決をみました。
 それまでの彼の小説は次のようだったでしょう。

活きた混沌からひとつの小さな秩序を得ることをその本分とする短篇小説(後略)

 こぢんまりした、宝石箱のような作品たちです。うつくしい完成度で読者を魅了しますが、より拡大される物語=世界への可能性を拒んでいました。
 ここでは作者の意志が全体を支配しています。作者の美意識がすべてでした。
 そして、結局のところ、堀辰雄さんの作品はここからはみ出ることはできなかったのだろうとは思います。「菜穂子」ですら!

矛盾したそれぞれをはつきり分離させて、それぞれ異なった性格を負はせ、そしてそれぞれを思ふ存分に活動させることをその本分とする長篇小説(後略)

 これが堀辰雄さんのめざした長篇小説(ロマン)*1で、「菜穂子」はおそらくその線上に完成しました。そこでは登場人物たちは作家の手を離れ、自らの生を主張しはじめます。だから無秩序になるのですが、底に作家じしんのいのちのあらわれがあるかぎり、無秩序の秩序となり得ます。すなわち、これは、作家と登場人物たちとの忍耐のいる格闘なのです。
 そのとき、「自分に苦手な人間は書けない」とどこかで漏らしたというひと言が、敗北の宣言として切実で重いものだったことに気づかされます。
 それにしても、「菜穂子」は、堀辰雄さんのいう長篇小説に一等ちかいものとしてここにあります。

*1:長篇、短篇といっても量の多寡というだけではありません。タイプとしてです。詳しくは「小説のことなど」参照を。