よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

地球が2個以上ないと日本人は生きていけない

共同通信高知新聞2010.08.26朝刊。

世界自然保護基金WWF)がエコロジカルフットプリントという指標による、日本人の生活様式の見直しを求める初の報告書。

「日本人は国土が本来供給できる資源などの量に比べ、7倍近くぜいたくな暮らしをしていると指摘。」

「日本人の生活レベルで世界中の人が暮らすと地球が2.3個必要になる計算」
実は、その程度の地球の数で全世界が日本的ライフになれるの?と驚きましたが。

基本的に、電気と、自動車かなあ。
この2つがなくなるとほとんど問題なくなると思うけど、かなり生存しにくくなるでしょうね。
おそらく平均寿命も短くなるでしょう。
諸悪の根源(?)は、人口の過剰だろうとは思いますので、環境保全のことだけを考えたらそれも悪くはないわけですが。

人類はもともと野生から自分たちを守るために暮らしの場を自然界から切り離していくことによって生存しやすくしてきているでしょう。
そんな場はたとえば「集団」→「集落」→「村」→「町」→「都会」と進化していくわけで、その都度生存はしやすくなる。その分、消費も激しくなる。
医療や福祉もその中でこそ機能するということでしょう。それも段階ごとに機能のレベルは高くなっていく。

自動車や電気などはそれ自体がプチ「都会」と言えるでしょうか。
アウトドアでのレジャーや暮らしにもみんなけっこう「都会」を連れて行っているわけです。
「エコ○×」なんていう「消費」もけっこうナンセンス。

「ぜいたく」にも限度はあるでしょうが「都会」を維持していくためにはそこそこの消費が必要となるでしょう。
国土の生産の7倍を倹約していっても4〜5倍くらいまで減らすのがギリギリというところでしょうか。
安心な生存とはおそらく、とても「ぜいたく」なものでしょう。

おそらくは「安心な生存」と「環境・資源の維持」はすでにバランスが取れなくなっているのだろうと思います。
世界のために自分たちの生存をあるていど犠牲にするか、それとも他国を気にせず自分たちの生存だけは守るか、という段階なのでしょう。
それならば、生物として自分たちの生存だけは守りたいでしょうから、現況はまず変わらないことでしょう。
だから実は、今回のような調査は意味があるようで意味があまりない。
変えられないから。
まあ、知っておくことは悪いことではないですが。

ぼく個人としては、あした電気がなくなっても、なんとかなるかなあとは思っています。
もともとあんまり電気を使っていないので。
TVや通信機器がなくなっても、さほど困らないし。存在しているから利用しているけど。
免許も持っていないし。
電気による生産や、自動車による輸送の恩恵はもちろん受けているけど。
まあ、なんとか大正時代くらいの生活ができればいいかな、と。
それ以前の生活となると現代人としては少々苦しいか・・・?

いや、うーん、基本的にスナフキンの生活がいいかな。
固定された家に棲むとしても。
自分(たち)の力で運べるものだけで生きていく。