よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

「マヌの法典」(岩波文庫)

折にふれてちょろちょろ読んでます。
が、通しで全部読むということはしないと思う。
インド(ヒンドゥー)の規範の大元という感じでしょうか。
「へぇ」があっておもしろくはあります。

(全体のほんの一部ですが)これまで読んだ感じではあらゆることが「系」としてとらえられているのかなとは思います。
まあ法律というのは元来そういうものなのでしょうがボクら現代日本人にとっての法はまず「個人」でありその個人がどう他とつながっていくべきかというようなものなのでしょう。
でも「マヌの法典」ではまず「系」があり各自はその構成要素のひとつにすぎないという雰囲気でしょうか?
構成要素それぞれは系の維持のためにどうしたらいいか。
系の維持のためには個は犠牲になっても問題なし。そんなふうな。

現代人たるボクにはそれがいいとはとても思えませんがボクらは個というものを重視ししすぎているきらいがあるかもしれません。
だから生存が難しくなっていく。
自分のことはすべて自分の問題であり自分で考えけっきょくは自分の責任であるから。
自分の生存意義を自分でつくりあげなくてはならないから。
系の維持という基準があると生きやすくはなると思います。
そして社会全体としては安定しやすいとは思います。
個人としては理不尽な圧迫が生じるでしょうが。
しかし個を前面に押し出してしまうと価値観が人の数だけ存在することになり当然安定しにくい。

「マヌの法典」での最小の系は「家(血)」というような感じでしょうか。
「まずみんなで家族をたいせつにしようよ」というていどにとどめておけば現在でも使える考え方かもしれませんね。