よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

シシトウを辛くなく育てるには

日本農業新聞2010.09.25 「アキバ博士の食農教室」より。

シシトウはトウガラシの仲間なので、もともと辛い遺伝子を持っている。
トウガラシは気温25度以上になると急激に辛くなる。
要するにストレスがかかると辛くなる。

木が弱ってストレスを感じていると先の尖ったシシトウになりやすい。
先の尖ったシシトウは辛いという言い伝えがあるが信ぴょう性はある。

辛くないシシトウを育てるには。
まめに水やり。
追肥
とにかくストレスを与えない。

というような内容でした。

ストレスがかかるとなぜ辛くなるのでしょう?
想像してみました。
カニズムではなく、そうなった理由を。

ストレスがかからない状況だと繁殖しやすいでしょう。
とりたてて身を守らなくても適当に繁殖できるでしょう。
むしろ、繁殖し過ぎを制限しなければならないかもしれない。
んで、どんどん食べてね、と。

でも、ストレスがかかるというのは繁殖しにくい状況のときでしょう。
辛さは刃のようなもの。
身を守りやすくなるでしょう。
絶対に食べられてたまるか、と。
自分は食べられても他のシシトウが食べられにくくなる。
ひとつの実ごと、動物は激しい闘いに身を投じなければならない。
シシトウに共生関係のある動物が存在するかどうかは知りませんが、もし共生動物がいるなら、そいつは辛さに耐えられるようになっているのでしょう。

まあ、ただの想像ですが。

ワイヤレス充電かぁ

共同通信四国新聞2010.09.14。

富士通がケーブルを接続せず装置に近づけるだけで携帯電話に充電できる技術を発表。
2012年実用化をめざすとのこと。

これを延長していけば、持ち歩きながら常時充電している、バッテリー切れのない携帯機器が可能かもしれませんね。
ポケットWi-Fiみたいに登録した機器だけにとかいう感じでもいいし。

でも、そこらへんを、充電できるだけの出力が飛び交っていると思うと、ちょっと怖い気分かもね。

宇宙を読み解くのに神は必要ない

共同通信神戸新聞2010.09.12朝刊。

スティーブン・ホーキング博士(68)は10日放送の米CNNテレビの看板インタビュー番組「ラリー・キング・ライブ」で「宇宙は科学で説明でき、読み解くのに神は必要ない」と語った。

それに対して「欧米のキリスト教指導者が反発している」そうです。
博士は神そのものの存在は否定していないようです。
あくまでも、解明するために神の存在を考慮する必要があるかどうかという趣旨のようです。

カンタベリー大主教のローワン・ウィリアムズ氏は「なぜ物事が存在するかということは、物理学だけでは説明できない」と反論した。

まあ、「たまたま存在している」ということだと思いますが、それではアカンのでしょうね。

薬剤耐性菌のこと

共同通信京都新聞2010.09.12朝刊。

多剤耐性菌のことが大きな話題になっていますが、耐性菌に対する新規抗菌薬の候補がひとつも残っていないことを専門家が報告していたそうです。
報告者の藤本修平東海大教授によると「危機的状況」だということです。
こういうのもそろそろ限界が来かけているのかもしれませんね。
こんな事態は医療というより人類という存在のありように起因するものかもしれません。

タフで強い菌へと作ったのはもちろん人間です。
ライオンが我が子を千尋の谷に突き落とすように鍛え上げたということになるのでしょう。
それは、ひとつずつ可能性を削除していってるような空しい作業だったのかもしれません。

あるいは菌を殺そうとする医療のありよう自体が間違っていたのかもしれません。
そこには「元から絶たなきゃダメ」という発想があったのでしょう。
即効性も必要なわけだし。
においも、菌も、イヤなものはすべて「絶つ」という方針になってしまいがちなのが人類。
受け入れられないものは許さない、という発想になることが多いように思います。

「許さない」というのは戦争を起こす心と同じもの。
結局人間は戦争することを宿命づけられている種族なのかもしれません。
かなしいことに。

しかし「許し」の中にも道はあるはず。
すでに遅いかもしれないけど、菌と共存するような医療の方法(あるいは世界のありよう)があったのかもしれません。
たとえばその菌によっても死なない体になること。実際、人類は多くの菌と共存しているわけだし。
もちろん、こんな方法は時間がかかり、ある個人を救うための役にはあまり立たないだろうから、医療としてはそんな悠長なことは言ってられなかったのでしょうけど。

クモの糸がバイオリンの弦に

奈良新聞2010.09.10。

奈良県立医科大学の大崎茂芳教授が、クモの糸を大量に使ってバイオリンの弦を作ったそうです。
「通常より重みがあり柔らかい音が響く。」とのことです。

http://www.nara-np.co.jp/20100910104141.html

弦を一本作るのにクモの糸を1万本必要だったそうです。
必要な1本1メートルの長さの糸を採取するのすら、たいへんだったそうです。
その方法は「企業秘密」のようです。

メモ:カメムシが体内時計で季節判断

共同通信京都新聞2010.09.08朝刊。

京都大と大阪市立大の研究チーム。
ホソヘリカメムシという国内に多く分布するカメムシが約24時間周期の体内時計を利用していることを確かめた。

http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010090301000655.html

地球が2個以上ないと日本人は生きていけない

共同通信高知新聞2010.08.26朝刊。

世界自然保護基金WWF)がエコロジカルフットプリントという指標による、日本人の生活様式の見直しを求める初の報告書。

「日本人は国土が本来供給できる資源などの量に比べ、7倍近くぜいたくな暮らしをしていると指摘。」

「日本人の生活レベルで世界中の人が暮らすと地球が2.3個必要になる計算」
実は、その程度の地球の数で全世界が日本的ライフになれるの?と驚きましたが。

基本的に、電気と、自動車かなあ。
この2つがなくなるとほとんど問題なくなると思うけど、かなり生存しにくくなるでしょうね。
おそらく平均寿命も短くなるでしょう。
諸悪の根源(?)は、人口の過剰だろうとは思いますので、環境保全のことだけを考えたらそれも悪くはないわけですが。

人類はもともと野生から自分たちを守るために暮らしの場を自然界から切り離していくことによって生存しやすくしてきているでしょう。
そんな場はたとえば「集団」→「集落」→「村」→「町」→「都会」と進化していくわけで、その都度生存はしやすくなる。その分、消費も激しくなる。
医療や福祉もその中でこそ機能するということでしょう。それも段階ごとに機能のレベルは高くなっていく。

自動車や電気などはそれ自体がプチ「都会」と言えるでしょうか。
アウトドアでのレジャーや暮らしにもみんなけっこう「都会」を連れて行っているわけです。
「エコ○×」なんていう「消費」もけっこうナンセンス。

「ぜいたく」にも限度はあるでしょうが「都会」を維持していくためにはそこそこの消費が必要となるでしょう。
国土の生産の7倍を倹約していっても4〜5倍くらいまで減らすのがギリギリというところでしょうか。
安心な生存とはおそらく、とても「ぜいたく」なものでしょう。

おそらくは「安心な生存」と「環境・資源の維持」はすでにバランスが取れなくなっているのだろうと思います。
世界のために自分たちの生存をあるていど犠牲にするか、それとも他国を気にせず自分たちの生存だけは守るか、という段階なのでしょう。
それならば、生物として自分たちの生存だけは守りたいでしょうから、現況はまず変わらないことでしょう。
だから実は、今回のような調査は意味があるようで意味があまりない。
変えられないから。
まあ、知っておくことは悪いことではないですが。

ぼく個人としては、あした電気がなくなっても、なんとかなるかなあとは思っています。
もともとあんまり電気を使っていないので。
TVや通信機器がなくなっても、さほど困らないし。存在しているから利用しているけど。
免許も持っていないし。
電気による生産や、自動車による輸送の恩恵はもちろん受けているけど。
まあ、なんとか大正時代くらいの生活ができればいいかな、と。
それ以前の生活となると現代人としては少々苦しいか・・・?

いや、うーん、基本的にスナフキンの生活がいいかな。
固定された家に棲むとしても。
自分(たち)の力で運べるものだけで生きていく。