よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

肯定より否定するほうがラク

他者についてはなぜか貶すより褒めるほうがむずかしい。
批判は賛成より容易い。

なぜか?
適当に考えてみた。
つねに適当に考えるだけだが。

結局のところ人は、自分の価値観しか理解できない。
現在の地球人口が60億人なのだとしたら、人間はそれぞれ似たようなものとは言えるが、やはり60億分の1の特殊な環境なのだ。
だから他者のことは見えはしない。
自分の思いと異なることは摩擦を起こす。
それ以前に、見えないということ自体がすでに「異なる」と同義なのだ。
その不快感。

あるいは、他者に与することは自己の喪失につながるということなのかもしれない。

あるいはこうも考えられる。
生物としてその方が有利だから。

なんらかの失敗は用心につながる。
特に他者の失敗は(自分の失敗はすでに致命傷かもしれない)。
用心は生存率を上げる。
逆に成功は記憶してしまうと油断につながる。それにより得られるものも大きいので捨てはしないとはいえ。
タカをくくると痛い目に遭いやすくなる。
だからどんなものでもプラス要因よりマイナス要因の方が見えやすいようになっておいた方が生存には有利だ、と。

あるいは、縄張り意識。
そういうこともあるだろう。
生物にとって他者は常に、所詮邪魔者で廃したいものなのだ。
生存にはその方がいい。