よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

ネットは過去の世界


北日本新聞2009.11.30朝刊。養老孟司さんの講演より。


情報は記録された瞬間に過去になる。ネットは過去の世界で、若い人はずっぽりと過去につかっている。生きていく方向を見ていない

脳にとっては過去の世界も現在の情報も等しくリアルタイムだろうとは思いますが、この場合の「現在」とは、今目の前で起き、それに対応しようとしている自分ということでしょうね。

直接眼前で発生している事象への対応こそが生物として、あるべき情報処理ということでしょうか。

情報の世界も、過去の世界も、要はバーチャルな世界ということなので、そうではないリアルな世界で生きてほしいというような思いでしょうか?


もうひとつ同じ講演から。


人は一生の間、決して他人と同じものを見ることはない。現代はそのことを忘れてしまっているのではないか

他者と異なった自分でありたいと思いながら、その挙句、誰もが同じことをしているのが現代。

「自分らしさ」を求めることが他者と同じスタイルを選ぶことにもなっている皮肉な世界です。

ことに情報の世界では皆が同じものを見ようとしているのかもしれませんね。

そうでないと生きていけないという強迫観念にかられて。

あるいは同じことを知っていないと、見ていないと許容できないというふうに。