よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

風刺画騒動


例の風刺画騒動のことなのですが、表現の自由か相手の宗教を重んじるかという問題になっていると思うのですが、とりあえずどんな絵なのかネットで探してみるとそう苦労せず見つけることはできました。この辺がネット社会の恐ろしさでもありますね。

それはさておき、それを見て最初に思ったのは、そこまでして守らなければいけないようなものか?ということでした。

ですがまあ、取るに足りないものであればあるほど理念の問題が正面に出てくるわけなので、これは理念の闘いなのだと思い直してさらに考えています。

毎日新聞は品位に欠けているからあの絵を掲載しないという告知をしていたと思うのですが、なんとなく逃げているような態度のようにも思えます。あのモノの質に責任転嫁をしているということで、上でぼくが書いた「そこまでして…」というレベルの宣言でしょう?それに仮に否定すべきものであったとしても公開するというのが「○○の自由」の原則ではあると思うし。うろ覚えですが、昔司書講習で習った米国の「図書館の自由宣言」でも、たしかなんでも収集して公開するべきというような発想だったと思うし。

それはさておき、とりあえず今のところの個人的な結論は、表現の自由はたしかにものすごく大事だが戦争が始まるほどの危険をおかしてまで守らければならないわけではないのではなかろうか、ということです。こんなことで戦争が始まる可能性も否定はできませんから。これも実は表現の自由には話を持っていってないわけですが。

今回の場合、相手にとって触れてはならないタブーを侵したのだけは間違いないので、それがわかった時点で謝罪すべきだったのではないかと思えます。今回以外でも表現の自由が規制されている例はいくつもありますが、おそらくそれと同列に考えられることなのではないでしょうか?たしかオーストリアでどこかの教授がホロコーストを否定したら逮捕されてたと思うのですが?

たまにはマジメな話をしてみました。そこはかとなくちゃんとしたブログっぽいですね。