よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

他人優先

なんであれ、自分ではなく他人優先の意識を持っているとイライラも腹立ちもなくなっていく。

けっこう悪くない処世術かもしれない。
つねに「どうぞどうぞ」と譲っておくのはラクなのだ。

きっかけはおそらくささいなこと。
たとえば。
夜間無灯火で右側通行の自転車が向こうからやってくる。
そういう連中は自分からはよけてくれないので、こちらがよけることになる。
「ちぇっ、なんでオレがどけなアカンねん」と舌打ちする。
そのとき、ふっと「こんなことでムカつくなんてケツの穴の小さい人間やね、オレも」と思う。
自分の正しさを意識してるから、だからこそ強く相手を受け容れることができにくい。
正しさがぶつかるのが戦争なのだから、このムカつきも小さな戦争なのだ。
「そんなヤツもいる」と受け容れて、「どうぞご随意に」とやると自分だけは、ラクになることは可能。

なんらかの行為をなす場合でも自分のためではなく、他の人たちのためにと、まず考える。
うまくいったときの喜びは得られるし、うまくいかなかったときでも「しかたないな」と笑うだけですむ。

だからこれは「善」をなしているなんてものではなく、所詮は自分の精神衛生のためなのだろう。

いまはもう、どんな場合でも、あんまり「自分」というものが出てこない。
だからわりと自然にそんな意識になれている。

もともと怒りというものを感じた記憶がほとんどないので、自我が薄いのだろう。

あるいは自分の人生にさほど真剣になれなかっただけか。