よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

『蕭々館日録』久世光彦…中公文庫(2004年)

なんというか、表現に困るけど、うまいなあ、と。

評価「○」。

蕭々館日録 (中公文庫)
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おすすめ度の平均: 5.0
5 素晴らしい、星8つ!

大正から昭和に移る頃。
ある作家の家にぞろぞろ集まってはくだらなくも知的な会話を繰り返す個性的な高等遊民たち。


でも、彼等を超える強烈なキャラクターがこの家にはいる。
それが主人公であり語り手でもある五歳の少女、麗子。
あの岸田劉生が描いた麗子像に影響された父のせいで同じ名前、同じスタイルをさせられているが、さほど気にはしてないもよう。
大物だ。
大人と同じように話し、知識もあり、文芸作品の読解力もあり、大人以上に冷静に面々を眺める。


そして近所には、彼女すら舌を巻く、さらに知識が豊富な六歳の少年、比呂志がいる。
こんな人々の醸し出す、ゆったりとした世界。


小さな物語が繰り返されるにつれ、ふくよかになっていく。
ひとつひとつは他愛ない日常。
妙に居心地はいい。
作者は細かく描く。
細部の文章がとてもいい。


しかし、この独特の小さな世界の雰囲気を最終的に作っているのは客のひとり、九鬼という作家の発する不吉さ。
そして魅力。
これは彼が自殺するまでの、一年ほどの間の不安を描いた物語でもある。


次第に狂気が九鬼をむしばんでいく。
彼自身の、狂気に対するおそれ。
麗子にも、5歳ながら女として好意を寄せている相手を失うことへのおそれ。
しかし麗子はあきらめてもいる。
それは遠からず必ず起こるできごとなのだと。
そうなったときにも彼女は悲しんだり大きな動揺を見せたりはしないだろう。
九鬼の俤を、自分だけの俤を、大切に抱えたまま絶対に手放すことなく一生を過ごしていくだろう。


いつまでものんびりたゆたっていたい安定した世界が一方にはある。
しかしいつまでもこれは続かないだろうという不安定な予感をすべての登場人物も読者も感じている。
そんなはかなさが基調低音として流れている。


そして我々は世界と惜別する。




蕭々館に関する簡単なリストを下に置きます。



【蒲池】作家。モデルは菊池寛
【九鬼】天才的な作家。しかし自らの狂気に恐れを抱いている。芥川龍之介がモデル。物語の中心人物。
【児島蕭々】本名児島政次郎。モデルは小島政次郎。麗子はさんざん父親のことをたいしたことがないように描いているが、実際はけっこうたいした作家だったかもしれない。中馬に尊敬されているのもわかる。とはいえ一流ではないだろうけど。まわりが凄すぎたかな。かつて全集も出ていたもよう。
【大正時代】作中、早々に大正時代は終わる。古き良き時代の去りつつある黄昏期が舞台となる。人々にゆとりがいっぱいあった最後の季節。
【中馬】金貸し。でも、いい人っぽい。作家たち(特になぜか児島を)尊敬している。
同潤会アパート】作中で九鬼がしきりに褒めている。当時の「モダン」の象徴であり、麗子の見立てでは九鬼はそれを強調しつつ本当は去っていく「大正」を惜しんでいるのではないか、となる。
【並川】無口な精神科医。詩など書いているみたい。調べてみたけど実在かどうかは不明。
二笑亭】作中で話題として登場。作者には思い入れがあるようだ。ちくま文庫の「二笑亭綺譚」はお勧め。
【比呂志】近所に住む6歳の少年。良すぎる頭を使わなかったら知識が重くなって頭がガクンガクンしてくる。将来「花ざかりの森」という小説を書いたりするかもしれないと麗子が語っているので、モデルは三島由紀夫かもしれないが、実際の三島由紀夫はこの時点では2歳か3歳くらいだったのではないかと思う。まあ、小説だから。三島由紀夫なら比呂志くんのようであっても納得できるかもね。
【みつ子】麗子の母。ちょっと天然入ってる。おっとりマイペース。でも地震は苦手。鈴木三重吉の義理の妹。
【八木迷々】大学で美学を教えている。豊富な知識で人をケムに巻くのが趣味。会話の中心はこの人。ということは、蕭々館の雰囲気の基本フォーマットを作っている人ということになる。いろいろ調べてみると、どうやら実在の人物かもしれません。
【雪平】中央公論社の新米編集者。蕭々館にやってくる知識人たちにかわいがられている(いじめられている)。
【麗子】主人公であり語り手の5歳の少女。最強の5歳児は野原しんのすけ君だと思っていたけど…。