よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

イベント

たばこをベランダですうようになりました。
いちいち椅子を持ち出してすうのです。
そうしているとたばこなんていうきわめてさりげない日常的な行為がイベントと化してきたような気もします。
ぼんやりと夜空を、雨を、樹々の風に揺らぐのを眺めています。

齢をへるにしたがって日々はすみやかに去るようになります。
それを少しでもふせぐためにはさまざまなイベントをつくっていくことは効果的そう。

たばこの例を考えるとイベントをつくるのはさほどむずかしくないかもしれません。
なにかひと手間かければいい。

レコードをふいて慎重に針を落とすという手間によって音楽を聴くという行為はイベントになっていました。
今はさりげなく聴けすぎるのかもしれません。

通勤を電車ではなく自転車にすればいい。
以前かたくなにしなかった休日出勤に抵抗がなくなったのは行き帰りの自転車が楽しいからかもしれません。

眠るときにはいちいち蒲団をひくようにしたら睡眠さえもイベントに。
ベッドや万年床は眠りの重さをへらすのかもしれません。

なんでもちょっとだけめんどくさい要素をを入れることで貴重ななにかに変じるようにおもえます。

便利になるということは大切さを削ることではあるのでしょう。