よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

臓器移植法の成立で気になったこと


もしかしたら、「人の死」と、臓器移植は別の話なのではないか、と。

臓器移植法が成立しました。

これ自体は大筋としては問題ないのだろうと思っています。

時代の趨勢とでもいうのでしょうか。

仕方がないのだろう、と。

ただ、根本の部分で釈然としない気分が(個人的には)残っています。

脳死は人の死」だから臓器を提供してもらえるのだ、という発想が気になるのです。

「死」というものの定義づけはそんなにたやすいものなのか、と。

哲学的な死、感情的な死、科学的な死、医療的な死、人格的な死、いろいろあると思いますし。

あとからじっくり考えるかもしれませんが、とりあえず以下のような感じ。

  • まず臓器が必要であり、提供してもらいたいということが最初にあるのだろうから、それを前面に出してしまった方が良かったのかもしれない(まあ、出しているわけですけど)。
  • そして、どんな人からなら臓器の提供を受けても人道的・社会的に問題がないと考えられるだろうか、と。
  • それはこういう状態の人であろうと思われるということの列挙。
  • その人が「死んでいる」かどうかはまた別問題であるということ。
    • 臓器となって、移植された人の中で生き続けるのだという考え方もあるだろうし。
  • そんな考え方の方が理解(納得)しやすいのでは?
  • 「あなたはもう死んでいる」と勝手に決めつけられるのは余計なお世話というものかもしれない。