よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

「路上のソリスト」 新聞記事より


山梨日日新聞2009.06.24朝刊(共同通信か?)より全文引用します。


 路上生活をしていた音楽家と新聞記者の交流を描く映画「路上のソリスト」(ジョー・ライト監督)が全国順次公開中だ。原作のコラムを書いた米ロサンゼルス・タイムズのスティーブ・ロペス記者は「ありきたりの美談ではなく、敬意のこもった映画になったのがうれしい」と話す。

 4年前、ロペスさんはロサンゼルスの街角で、弦が2本しかないバイオリンで美しい音楽を奏でているホームレスの男性と出会った。エアーズと名乗る男性は、名門ジュリアード音楽院の学生だったときに統合失調症を発症。退学して路上生活を送っていた。

 「彼の物語はコラムになると直感した」というロペスさんの記事は反響を呼び、自身もエアーズさんの生活や音楽に深くかかわっていく。映画は、2人が築いた友情と、人生に大切なものは何かというテーマを丹念に描く。

 「僕が彼から学んだり、助けられたりしたことも多い。人と人とのつながりや、不幸の後にセカンドチャンスが訪れるというストーリーに、読者が共感してくれました」

 1本の記事が人の心を動かす一方で、米国の新聞業界はインターネットに押されて危機に直面している。「2ドルのコーヒーは買うけど50セントの新聞は買わないという人が多いのは信じられない。権力を監視し、民衆の利を代表する新聞の役割は重要です」とロペスさんは話した。


次のような文章もありました。

同感の部分もあります。


琉球新報 コラムニストとホームレスの交流 『路上のソリスト』 2009年5月26日


 これは、ロサンゼルス・タイムズ紙に掲載されたコラムがきっかけになった、新聞のコラムニストと、ホームレスとなったソリストの交流が原作だ。

 ジュリアード音楽院に在籍していたほどの技量を持ったソリストが、なぜ路上生活者になったのか。彼の軌跡を解き明かしていくのと同時に、再起に向けてコラムニストが手助けをする。

 米国らしい感動モノだとは思うが、どうしても、同業者でもあるコラムニストの方に視点がいってしまい、複雑な感情を抱いてしまう。彼にとってソリストは、コラムのためのネタだったはず。それが、読者からの反響も手伝って、精神的な病を持つ男の人生をも背負うことになる。だが、何かと手を患わす彼の存在は、時に疎ましい。

 1本の記事が、他人の人生を大きく変えてしまうことはよくあること。コラムニストはその覚悟と認識が不足しているように見えるのだ。かくいう筆者も自信はないが。自戒を込めて、本作を繰り返し見たい。★★★★☆(中山治美・筆)