よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

生物多様性


今年はダーウィン生誕200年、彼の「種の起源」発刊から150年という、なんとなく節目の年。

なぜ地球の生物には過剰なまでに多くの種類があるのか。

自然淘汰の最大のツールである「突然変異」という機構自体が重要なファクターとして「適者」となったからではあるでしょう。

そうして皆がてんでバラバラに勝手に突然変異しその中からたまたま環境に問題なく合致した連中が生き残っていく。

そうやって多くの種類の生物が共存する形になったわけです。

まあ、おそらくは。

そしてこれほど多くの種類の生物がいるならばこの先かなり大きな環境の変動が発生してもいくらかは生き残ってくれる可能性が強いと思われます。

人類から見たらとんでもない環境で生きている連中もいますから。

身近な存在の植物ですら炭酸ガスを吸収して酸素を吐き出すというまったくの異生物ですものね。

資源としての生物あるいは人類の生存に必要な要素となる生物にも当てはめられるでしょう。

生態系は複雑に絡み合っているのでなるべく多くの生物が生き残っていた方が人類としては生き残りやすい。どいつがいつ自分たちにとって直接の役に立つかもわかりませんから。

結局のところ「生物多様性」をありがたがる感覚は人類自身の生き残りのために必要だから出てきたものなのでしょう。

とはいえ「生物多様性」とはどうやらわかりにくい言葉のようです。

来年10月に「生物多様性条約第10回締約国会議」が開かれる予定の愛知県内ですら認知度は30%程度という調査もどこかで見かけました。