よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

野次馬根性


朝、ついいましがた、自転車で走っていると、近所の団地の前に警察車両が十台近く停まっていた。

建物の入口に二人の警官が立って見張りのようだった。

報道機関らしきカメラマンも来ていた。


「事件か?」


思わず速度を落とし覗くように伸び上がって振り返ったぼくだった。


自分の中の野次馬根性は廃していたつもりだったが、どうやらそうでもないようだ。

まだまだ修行が足りぬよう。


とはいえジャーナリズムというのは結局のところ野次馬根性の発展型なのかもしれない。


人が「知りたい」という感じる欲望はおそらく生物としてなのだろう。

生存に向けての情報収集なのだろう。

ものごとはひとつでも余分に知っている方が有利になるのだ。

知らないことはある意味、罪ですらある。


ジャーナリズムとは公共に情報を知らしめることによって、他者の有利とすることなのだ。


以上、己の品性を擁護するための理論武装でした。