よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

「人類がいる世界」という環境


病原菌の中には宿主を殺してしまう、おバカな連中がいるという。

ならば人類は?

なんぼなんでも地球という宿主は殺せないだろう。

その意味では、病原菌よりはマシに見える。

しかし、地球にある「自然」を殺すことは可能だし、その道を歩んでいるように見える。

要するに、宿主は殺さないけど、自分の住める環境を壊そうとしている。

件の病原菌とさほど違わないか。

というか、病原菌は何かの勘違いで宿主を殺しているのだろうが、人類はわかってて自分の生存できる環境を破壊しているところは、かなりすごい。

自ら絶滅に向かっている、自殺志向の強い生物。

最近の若者は生命の大切さを知らないとよく言われるけど、人類自体があまりそれはわかっていないのだろうから、仕方ないことか。

滅びの姿は美しいものだけど、人類の志向は美にあるのかもしれない。

人は天然自然のものだとはGガンダムの主人公ドモン・カッシュのセリフだったか?

当然、天然自然のものではある。

人はすでに生態系から外れてしまったという考えがある。

おそらく外れてしまっているのだろう。

天然自然のものであり、生態系の外にある。

人とはなんだろう?

人以外の生物にとっては、それは「環境」なのではなかろうか?

「人類が存在している世界」という、ひとつの前提、環境。

そう考えるとけっこうわかりやすい。

人類はすでに「環境」という存在になってしまった。

神様の次くらいの格でしょうか?

すごいですね。

もっとも、この「環境」は自らの滅びを志向している、なかなかやっかいな「環境」なのだけど。

発達した交通機関は、世界を一様な姿に近づけていく。

人類は世界各地に他所の生物をせっせと運んでいる。

外来種は在来種を駆逐することも多い。

もっとも、航空機と、糸で空を飛ぶ蜘蛛や、渡りをする鳥の間にはそれほど差はないかもしれない。

ともあれ、「人類がいる世界」という環境により世界は一様なものとなる。

それもまた、自然なのではあるのだろう。

もっとも…

いったん世界中の生物相が完全に一様なものになったと仮定したとして。

その後は、地域により、あるいは地域ごとの人類の生き方により、環境は異なることになるから、生物たちはさらに進化を続け、「人類の存在する世界」という環境に合わせた姿となって多様化することになるのだろう。

なんせすでに人類は「環境」なのだから、当然そうなるのだ。

個人的には地球上で起こることに関しては地学的なスパンでものを考えている。

1億年くらいが最低のスパンという感じかもしれない。

10年20年、100年200年のスパンで見ると大きな変化であっても、億年の単位で見ると大した変化ではないとは言える。

守らねばならないと感じている沖縄や小笠原、ハワイ諸島などの生態系も、億年単位で考えると、もう島自体が存在しない可能性すらあるし。最初にできたハワイは今はカムチャッカあたりの海底に埋もれているそうだし。

生物の大発生(ビッグバン)というのもあったし、大絶滅というのもあった。らしい。

全盛を誇ったかに見える恐竜も絶滅したらしい。あるいは、数億年も続いた恐竜はとんでもない知能と技術を持つにいたり、みんな宇宙空間に飛び出していってしまったという可能性もないことはない、かもしれない。

人類は、せいぜい数万年しか存在できない仇花かもしれない。

億年単位で考えたら、もう存在していない程度のものかもしれない。

個人的にはその可能性が強いのではないかと感じている。というより、あと数万年続けばえらいもんやなあ、と思ってる。

だからまあ、人類は好きなことを好きなようにやって、勝手に滅びたらいいのだろうとも考えている。

そしたらまた、「人類のいない世界」が戻ってくるので、生態系も前と同じようなことになるかもしれない。

もっとも、人類が滅びるときには相当数の生物を道連れにしてしまだろうけど、そこはそれ、「人類がいる世界」という環境で暮らしているわが身の不運を嘆いてもらうしかないかしら。

さらにもっとも、その後人類に輪をかけて凄い知的生命が発生するのかもしれないけど。

宇宙単位でものを考える人にとっては、地球が存在するかどうかくらいが最低限意識するもので、何が起こっていてもあまり意味はないかもしれない。

宇宙関係の科学者の中には、そんな眼を所持できている人がけっこういる感じだ。