よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

「目まいのする散歩」武田泰淳

読書日記。
読んだつもりで実はまだ読んでなかった本のひとつでした。

ふしぎな散歩がいろいろ。

たゆたうように読むのに向いている。
主人公(作者?)は眼となる。
その眼はずりずりと徘徊しながら、ものごとの表面を眺め、どこか奥の方にもぐりこんでいく。
そのずりずりした愉しみ。

★目まいのする散歩

何が描かれているかというよりも、雰囲気を味わうのがいい。
いい言葉もたくさんあるのだが。
ぼんやりとして、ものうい感覚。
人生の終末を予感させる寂寥感。
そして、どこかあきらめたような軽み。

「すべてのことは、たいがい無事にすむものだ」と、いつも通りの結論に達した。そして、散歩というものが、自分にとって、容易ならざる意味をもっているな、と悟った。(p.11)

あたり一面に、調和のとれているくせに何か神経を焦らだたせるざわめきが、みちひろがっていた。その焦らだつ神経は、私が生まれたときから維持されていて、地球上のざわめきと連絡のある、貴重な手がかりらしかった。(p.18)

笑い男の散歩

老学者と私は顔見知りなので、あいさつを交わすが、そのあいさつもお互いにどことなく頼りない。(p.30)

★貯金のある散歩
★あぶない散歩
★いりみだれた散歩
鬼姫の散歩
★船の散歩
★安全な散歩?

(2009年12月10日読了)