よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

難解なことば


最近の記事でちょいちょい出てくる話題のひとつ。


難解な専門用語を誰にでもわかるよう平易な表現に言い換えていこうという動きが出てきています。

医療用語とか、政治用語とか、行政用語とか。

たしかに、専門用語を連発して相手ないしは素人さんをケムに巻こうとする人もいるので、悪いことではなさそう。


とはいえ


専門用語というのは、あいまいさをなるべく減らしていった、謂ば、すでに定義済みの言葉。

これによって、少なくとも専門家どうしなら、余計な概念の入らない共通の言葉としてコミュニケーションできる。

それぞれの勝手な解釈を許していたら、まともに伝達できないですから。

これはこれで貴重なものです。


海外の評論なんて、一冊の本のほとんどが言葉の定義づけに終始するようなこともありますよね。

まあ、その手のは、読むのがとってもしんどいですけど。

そこまで言葉の使い方を厳密にしようとしている。

その結果が専門用語かもしれません。

ひとつの単語に、少なくとも本の一章を割くくらいの背景がある。意味がある。


ということで


本当に「やさしく」してしまっていいものなのでしょうか?

世の中、しなくていいことまでやさしくしようという方向に動きすぎている可能性もあります。


「わからない」、「難解だ」と感じるからこそ、「知りたい」という欲求も生まれようというもの。

学ぶきっかけは、そんなとこにある。

そして、知ることの達成感、自分は知ったという優越感なんてメリットもありますね。

だから、知ることも楽しくなる。

そして、新たな知らないことがたちあらわれてくる。


平易になおす時点で、おそらく定義が少し変わってしまうかもしれません。

でも、あいまいさを残しておくと、誤解される危険性も増えます。

この語を説明するときにはこのように表現すると決めてしまう必要がありそう。

だとしたら、あらためて定義しなおすということになります。

一見誰にでも理解できる表現のようだが、これにはこういう意味があると決めてしまわないといけないですね。

そしたら、それがまた専門用語として難解であるということになってしまうのかもしれません。


結局のところ、「やさしく」するというのは、「曖昧に表現する」ということなのかもしれません。

この言葉の意味は適当に想像してネ。とゆだねてしまうことが「やさしい」ということ。

でも、そしたら、本当に伝えたいようにはなかなか上手く伝わらないでしょう。


けっこう、厄介。