よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

不良品


 どこやらの副知事が、なんかの大会で、不登校児は「不良品」だと言ったそうです。ま、考えてみれば教育というのは、その時点で国の役に立つ人間を作るための制度なので、現在必要だと上の方の人が考えていない「不登校」なんてことをやってる子どもたちを「不良品」よばわりするのは当然かもしれませんね。そう、元来教育なんてものは、人材作り「工場」なので「規格品」を生産するのが使命なのです、たぶん。だから教育という制度の側に立てば「不良品」はたしかに存在するのでしょう。

 工芸品や芸術の世界では、多少の歪みは「味」ともなり得ます。手づくりならば当然発生するはず。たぶん、現在の教育は「手づくり」とは考えられていないのでしょう。学校の先生にはプレス機のような素早く正確な生産が求められているのでしょう。規格品なんてものは安価な大量生産品、日常生活で使う消耗品ていどのもの。100円で買えるお茶碗か、お茶の間に飾る印刷の絵ってとこなのですけど。うーん、国が欲しいのは常に消耗品なのかもしれませんね。たしかに。

 もしかしたら規格におさまりきらず、工場長の目には「不良品」としか見えないものの方が「いい仕事」なのかもしれないのですけどねえ。少なくとも、将来価値が出てくるのはそういう中にあるはず。