よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

辞める辞めさせるはやめたい

とっても珍しいことにちょっと政治について。
というほどたいそうなもんでもないのですが。

日本の首相の話だけではなくどんなことでもまず継続することがいちばんの力となる。
しじゅう辞めてたら何ものにもなれはしないよ。
そこらの一般人でもどんなことでもずっと続けていかないと何もできないし何も身につかないしたいしたものになれない。
責任を糾弾するのは政治家を鍛えるという意味でも当然としておそらく辞めさせようという動きになってはいけないのだろう。
その人に何かをなしてもらおうとするなら。

アメリカの大統領はちょっとやそっとのことでは誰も辞めよと言わないようだ。
選ぶのに金と時間と労力がとってもかかってるものね。
日本の首長はアメリカのように長期のしかも厳しい選挙期間によって鍛えられるわけでもないからぶっつけ本番で少しずつ成長してもらうしかない。
たとえそれが爺さん婆さんでも役についてから成長してもらうしかないのだ。

だからむしろ絶対に辞めさせないくらいのつもりがないと。
日本の首長の選び方を認めているからにはとにかく必ず任期は満了してもらう。
健康問題以外では辞めさせない。
いや、健康に問題が生じた場合でも代役を立てておいて復帰を待つ。
犯罪者にでもならない限りは辞めさせないというスタンスでいいだろう。
選挙に負けようが。
失言しようが。
ショボい政策を打ち出そうが。
ブレまくろうが。
あいまいだろうが。
経済政策に失敗しようが。
とにかく辞めさせずなんとか改善の努力と工夫とお勉強をしてもらう。
そのくらいのひつこさを。
そしてひつこい批判もしつづける。
国民にも強い覚悟と忍耐とアクションが必要なのだ。
今の選び方では。
おそらくは。

よく発生しているそしてこれからも延々発生し続けるだろう不正献金疑惑の場合でも、
情報を開示し、
謝罪し、
二度と同様のことが発生しないよう政治システムを改革する。
そんな感じでようやく責任を取ったことになるんだろう。
辞めてしまってあとはお任せではいつまでたっても政治家はダメダメちゃんのままだ。
首長クラスのエラい人の不正献金は辞めさせさえしなければ改革の大きなチャンスなのだ。

日本人は責任を取るというのは切腹あるいは辞任という感覚があるのだろう。
でもよく言われるように辞めるということは責任を取るということではない。
自分の失敗をフォローするあるいはさらによりよくすること。
今より少しマシになった自分の姿を認識させることだ。
と思う。

要するに
すぐに辞めてトップがコロコロ代わるのはもう、ちょっとウンザリなのだ。