よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

『谷内六郎の絵本歳時記』谷内六郎/横尾忠則・編

小さい頃からだが弱くて近所のセキヤセンセイとシンタクセンセエという小児科の医院にしょっちゅう通っていました。
ことにシンタクセンセエの待合室には「週刊新潮」がたくさん置かれてあって子どものことですから中身は読みませんでしたが表紙の絵だけじーっと見つめていました。
その絵の作者が谷内六郎さんです。

大人になってから谷内さんの視点は病気の子どもの視点だと思いました。
だからあんなにも深く共感できたのだと。

病気がちな子どもはほとんど空想の世界に生きています。
家の内から眺める風景であったり病床での想像であったり熱にうかされながら見る夢であったりたとえ外を歩いていてもすぐ空想の世界に入り。
あるいは予感される死を反映した…。

基本的には夜の絵。
夜の気分のまま描かれています。

《始発の電車には夜の明かりがついていてまだ夜の子供が残って乗っているようです》

この一冊は千点を越えるらしい表紙絵から横尾忠則さんが91点を選んだものです。
ふたつの特異な才能の相乗効果。

いまのぼくから「病気の子ども」の視点は失われているかなと考えてみました。
どうやらぜんぜん失われてません。
完全に根付いてしまっているようです。
だからこの作品集も変わらず魅力的です。

最初の「初日の出」という絵に添えられた文章《磯のにおいも波の音も昔と変りない、砂山のかたちも岬のかたちも昔と変りない、だけど一緒に玉藻をつんだ少女はいない、桜貝のような唇で浜辺の歌を歌った少女はいない》という冒頭にあやうく涙するところでした。
郷愁の画家でもあります。

どーでもいいけど「ちびまるこちゃん」の野口さんは谷内六郎的キャラかも?

今年最後の読書としてはいいものでした。

(2005年12月31日読了)