よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

科学的根拠

  • 中日新聞2011.03.23朝刊。
    • 東電が避難者に謝罪。その際「科学的根拠に基づき設計したと思うが、結果としてみれば甘かった」と述べた。
  • ここらで「科学的根拠」というのを見直したほうがいいのでは?
    • いつもなんだか釈然としない言葉なのだ。
    • ボクは科学好きだが「科学教」の信者ではないので。
    • 科学的な成果は常に「決定事項」ではなく「過渡」にある成果ということだろう。
    • 「根拠」として「科学」をどこまで使えるのか?
  • 科学はおそらく断言しない。
    • 「M9.0以上の地震はない」「15メートル以上の津波は来ない」とは決して言わないだろう。
    • この場所で100年以内にそれが発生する確率は極めて小さいなどと報告するまでだと思われる。
    • あるいは「皆無ではない」と。
    • 0.00001%でも可能性があるならそれを掬いとるのかそうしないのかは結局のところ決定権のある者の判断だ。
  • 同じ紙面に福島原発設計当時の技術者への取材があった。
    • 地震、大津波、飛行機の墜落直撃など進言したが可能性が低いと却下された。
    • 個人の言葉なのでどこまで信頼性があるかは別にしてそういうこともあっただろうと想像はできる。
    • なんせ想定値を上げるとかかるお金と技術はとんでもなく増えるから。
  • 最終的には科学的な可能性とお金を秤にかけて折衷的なところを出しているわけだろう。
    • 「科学的根拠」ではなく、所詮は「金銭的根拠」かもしれない。
    • あるいは「予算の範囲内での科学的確率の少なさ」とか?
  • ともあれ、「科学」を「説得力」に使わないでほしいとは思う。