よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

欧米人の適応力

「アフリカにょろり旅」という本を読みはじめた。
とてもおもしろい。
中に次のようなくだりが出てきた。
カナダ人の女性がひとりでアフリカのマラウイに来ていて会話を交わすシーンだ。

一瞬、力こぶと作ってここまでグイグイとマラウイに分け入って来た自分たちがアホに思えた。もうじき「おばあさん」と呼ばれてもおかしくない一人の女性が、私たちと同じ宿に泊まり、同じレストランで食事をしている。夕暮れの風に吹かれながら、静かに本を呼んでいる。やはり欧米人はすごい。これまでにもさんざん思い知らされてきたが、改めて彼らの「旅」を楽しむ力を感じずにはいられなかった。

そういわれればそうなのかもしれない。
ハイソな人々が平気で「未開の地」を旅する。
小説などでもよく出会う。

考えるに欧米の人々は支配することに慣れており現地の人々を召使のように使うことができる。
逆にそういう態度を取られると人はつい反射的にへりくだってかしずいてしまう。
要するに使われるのは仕方がないという雰囲気になってしまう。
欧米人は相手を自分のペースに世界に巻き込むことが得意なのだ。
自分が適応するのではなく相手を自分に適応させてしまう。
その地を知らないということが、現地の人間にとってむしろ自分たちより高みにある別世界の住民というふうに感じられてしまうんじゃなかろうか。
だから未知の土地でも現地の人々の献身を受けながら悠々と旅できる。

ところが日本人は他民族を支配することに慣れていない。不器用とすら言える。アジア各国の反日感情が証明しているかもしれない。
どこに行っても現地の人と対等の立場か未知であるということで弱い立場となってバカにされてしまうことも多そうだ。

どちらがいいかは知らないが使えるものは使うという欧米人の方が対応力は高くどこにでも比較的安全に踏み込んで行けるとはいえるだろう。
もちろん相手が欧米人的態度に対応不可能なほどの異なる場合には痛い目に遭うとしても。