よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

選び方

選び方にはふたつある。

いいと思われるものを抽出していくか、
不要と思われるものを削除していくか。

ひとによって、どっちが向いているということはあるだろう。

ふたつの方法の差はボーダーライン上のものを選ぶときにあらわれるだろう。
いいと思われるものを抽出する場合ボーダーライン上のものは基本的には選ばれないものとしてそこにある。
不要と思われるものを削除していく場合には基本的には選ばれるものとしてそこにある。

後者の場合なかなか母体が減らないということになるのでけっこうたいへんだ。
ぼくはこっちの方かもしれない。
じっくりのんびりやってくことになる。

抽出していく方法を選ぶと楽になりそうだが。
この場合選ばれなかったものをバッサリ切り捨てていける思い切りがないといけない。
部屋の片付けなどはこれでないと結局無理だ。
こちらにはある意味ボーダーラインは存在しない。
マルかそうでないかだけだから。
またスピードが求められているときはこっちでいくしかない。

ぼくらは瞬間瞬間に選びつづけている。
あるいは選ばされつづけている。
それによって人生がかたちづくられていく。
些細なこと。
たとえばカレーにするかチャーハンにするか。
ここで横断歩道を渡るかスルーするか。
右を行くか左を行くか(これは大きいことかも)。
そんなこんなが積み重なってぜんぜん異なるものになっているのかもしれない。
単純ところでは横断歩道を渡ることによってA地点に1分早くたどりつき事故に遭うかもしれない。
そういうのでなくともビミョーな差が積み重なると大きくなるものだ。
異なる選び方を続けたぼくはどんなぼくだったろう。

選ばないという選択肢もある。
選ばないということも選択だ。
一見選ばない人は優しく見えるらしい。
じつは回避しているだけ、あるいはめんどくさがり屋。
草食系はこれに当るだろう。
ぼくも優しいとよく言われる。

まあ、仕事では選ばないという選択肢が許されないことが多いので苦しいですね。
選びたくなんかないのさ、ほんとうは。