よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

幸福とは

たとえばこのような。

幸福を欲する者は、無上の満足に止住し、心を抑制すべし。なんとなれば、幸福の根底は満足にあり、不幸の根底はその反対(の心境)にあればなり。(「マヌの法典」田辺繁子訳…岩波文庫より)
足るを知るということですね。

あるいはちょっと皮肉っぽく。

他人の不幸を見ているうちに沸き起こる快い気分。(「悪魔の辞典」A.ビアス/奥田俊介+倉本護+猪狩博・訳…角川文庫より)
二つを組み合わせると、ちょっと恐ろしいことに(というより、さもしいことに)なってしまいますね。
他人の不幸を見ることによって無上の満足に達することが幸福というものなのですね。

それはさておき。
ブータンでは国の目的にGNH(国民総幸福度)を据えているそうです。
若き王様の思い切った施策なのかと思っていたら、もう何十年も前からなんだそうです。
あえてスローな発展を。
ある意味先進的ですね。

かつての日本が(暗に)GNPやGDPの上昇を至上の目標にしていたように「幸福」を求めている。
日本は、経済的には豊かになったけど、何が幸福なのかわからないようにもなっているかもしれません。
経済的な豊かさが必ずしも幸福にはつながらないのかもしれないと考え始めているのでしょう。
最近、国民の幸福を指標化するというような動きが出てきていますが、とってつけたような印象は免れません。
まあでも、なんらかの一歩なのかもしれません。
二等国であることに満足していくことも悪くないでしょう。
それこそが成熟した国と言えるものなのかもしれませんね。
諦観のあとに成熟はやってくる。

さて、国の方針とするためには、それがどういうものであるか明確にしておかなければなりません。
ブータンでは、とりあえず(国内の)幸福の要因として次の九つをあげているそうです。

・living standard(基本的な生活)

・cultural diversity(文化の多様性)

・emotional well being(感情の豊かさ)

・health(健康)

・education(教育)

・time use(時間の使い方)

・eco-system(自然環境)

・community vitality(コミュニティの活力)

・good governance(良い統治)
   ・枝廣淳子ブータンの『GNH(国民総幸福度)』に学ぶ発展の哲学」を参照

面白いです。
日本人としてもけっこう納得できます。
これで「無上の満足」の境地に入れるやもしれません。
自分たちでも、こういうふうに「幸福」とはなんぞやと考えてみるのも楽しそうです。

「時間の使い方」なんてのは、さっき書いたブログに通じることなのかも。

ただ、ブータンにも悩みはあって「ブータン難民」という深刻な問題もあるようです。
  ・ネパールのブータン難民
万人が幸福になるのはなかなか難しいものです。