よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

新聞社どうしで論戦を


  • 大きくなるほど新聞はそれぞれの特徴がなくなりがち。
  • それが大きくなるための要因なのかもしれませんが。
  • でも、それぞれの新聞の特徴をもっと際立たせたらおもしろそうです。
    • 「キャラ立ち」させるということですね。今はなんでも、キャラクタを明確にできないと「受け」は難しいご時世かも。
  • この新聞はこうだ、と明言できるような。
  • そして、新聞間でいろいろ論戦をしてみたらいいかも。
  • ある程度まで進んだら共通の紙面にしてもいい。
  • 朝日の「社説」と産経の「主張」間の論戦も読んだことはありますが、とことんまでいってないような気もしました。
  • 毎日の「記者の目」の中で、社内の記者どうしの論戦も読んだことがあります。なかなかおもしろいものでした。社内の論戦もありですね。
  • 一線ジャーナリストどうしの論戦、新聞社のプライドをかけた論戦。負けを認めるとき以外はぜったい引き下がらないようにしたら…楽しそう。
    • とはいえ延々続けられるものでもないので、いずれかが「そろそろこの辺で…」と提案する形で。
  • ジャーナリストどうしなら、根拠のない悪罵のくりかえしではなく、根拠のある考え方のぶつかりあいとなるでしょうから。
  • もともと絶対の回答がないようなものがテーマになることが多いでしょうから、多くの人にとってものを考える参考になりそう。
  • 日本人は討論が苦手気味。学習になるかも。でも参考になりすぎたら、日本人らしさがなくなるかな?