よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

新聞のスクラップについて


スクラップという作業について考えてみた。


多くの人が、必要性というだけではなく、むしろ趣味的にいそしんでいるように思われる。

なぜそうなるだろう?

ネット上の情報について趣味的に集めようとする者はあまり多くはないように思えるのに。


ひとつは、そこに取捨選択するための「思考」が入ってくることはあるだろう。

考えることの愉しみを味わえるのだ。


ひとつは、手の行為、運動が入ってくることの愉しみもありそうだ。


ひとつは、物理的な体積、質量が存在するからでもあるだろう。

ネット情報に比して欠点ともなるがアドバンテージともなりうる。

「物質」としてたまっていくことの充実感だろうか。

「知」の「物質化」とでも言えようか。


ひとつは、あとから「何の気無しに」パラパラと、意味もなく、めくっていく愉しみがあること。

書店で本の背中を眺めていくことの愉しみ。レコードのジャケットを眺めていくことの愉しみ。ウインドウショッピングの喜び。そんなのに通じるところがある。

人間にとって意味の薄い行為ってなんだか嬉しいものなのだ。


とりあえず思い付くのはそんなところ。まだまだありそうだが。