よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

口に戸は立てられない


ナイショは無理かも?


食中毒が発生したら保健所が調査します。そこでこんなできごとが起こったそうです。

調査に当たった職員が、会社に対する処分内容などを県が発表する前日にインターネットの会員制サイト「ミクシィ」のブログに書き込んでいた(中日新聞2008.02.29朝刊)

もともと「人の口に戸は立てられない」という決まり文句があるくらい秘密を守ることは難しいのですけど、ネット時代になってさらに口が軽くなったような気がしますね。


先日社内で話していたのですが、裁判員制度が始まるまであと1年。

自分が選ばれたときに、そのことは秘密にしなければならないし、もちろんどんな内容だったかも他言してはいけないようです。

事後になら証人尋問など公開されていることについては語ってもいいのかもしれませんが、それに自分が参加していたということはやはり語るべきではないように思えます。


みんな、どこまで秘密を守れるでしょう?

ぜったいにバラす人は出てきますよね。

悪意はなく軽口として。

自分のことを考えてみても、家族にはなんだか言ってしまいそうな気がします。ダメですけど。


なんとかナイショにできても今度は「王様の耳はロバの耳」。

ネットはちょうどいい穴ですね。

ブログでつい「じつは、裁判員に選ばれまして…」となる人も多いのではないでしょうか?

どの案件だとか、どんな評議内容だったかはマル秘にできても、こんな感想ですと。

どこまでだったらOKとかの基準を設けるなど、ネット対策はぜったいに必要だろうと思います。


「人の口に戸は立てられない」にしろ「王様の耳はロバの耳」にしろ、あるいは「壁に耳あり障子に目あり」などは、あるいはジャーナリズムの根のところにあるものかもしれません。

それが特定の何かの利益・不利益に直接つながったり、他者を単に傷つけるだけだったりしない限りはむしろ社会に必要なものでもあるのかもしれません。


人は「伝えたい」存在なのです。生物的に考えれば、伝えることによって仲間の(種の)安全をはかることができたからでしょう。と、勝手に仮説を立てています。

だから止めることは難しいでしょう。


医師や弁護士などの「守秘義務」にはプロであるということが裏打ちされていますが、あくまでも一般人が選ばれる裁判員への守秘義務には限界があるような気がします。それが「人間」というものでしょう。最初に書いた事例はプロであることを捨て去ったわけですね。


裁判員に選ばれた者が、他者のプライバシーや評議の自由を守るために秘密を守ることは重要です。だから守秘義務は当然です。

そういうことの教育はもちろんしなければならないのですが、やはり逆に「ここまではバラせる」という線を設けてもらえた方がむしろ肝心なことは黙っていられるという人間心理(?)を利用していった方がいいかもしれません。人は都合のいいように曲解するものではあるから、若干縛りをキツ目にしておけば。なんてことを考えているのですけど、どうでしょう?