よはくのてちょう

手帖の余白に書くようなことを

天動説だってわるくない

なんて、挑発的な題名をつけてしまいましたが。

とりあえずぼくは、ちょっと皮肉な気分で、とりあえず天動説を採用していたりします。
ガリレオの頃には天動説が主だったし、宗教も絡んでいたので、地動説を唱えることは命懸けだったのでしょうけど、皆が言わないことを言うという一種の冒険、ロマン、高揚感もあったのではないでしょうか。
でも、今逆に世に逆らって天動説を信じたとしてもべつにロマンを感じられるというわけではないですけどね。バカにされるだけで。
そのくらいの許容力は世界にある。
許容力のある世界では、完全な拒絶・廃絶ではなく、軽蔑が多くを占めることになる。
許容力のない世界が滑稽に見えるのは、現在の人間にとって軽蔑の対象でしかないものを、さも大層なことのように廃絶しようとするから。

それはさておき。

ぼくらは現在、一般に地動説の信奉者です。
天動説を信じている人は(おそらく)ほとんどいません。
でも、ほんとうに「地動」なのでしょうか?

天動説を信じている小学生がけっこう多くの率を占め、理科教育の問題が云々されていました。毎日新聞か何かで読んだと思います。
でも、ある意味当然だろうと思うのです。
小学生には(特に低学年くらいまでは)又聞きのジョーシキなんてまださほど身体に根付いていないから。

そこで思うのです。
みんなほんとに地動説で何も疑問ないの?
天動説を採る方が自然なのではないの?
ぼくらは天が動いているのしか目で見ていないのですから。
専門家や宇宙飛行士でもない限り、ほとんどの人間は。
ふつうに目で見ているだけなら、やっぱり天動説を採るのが自然だと思うのですけどね。
ガリレオの方が凄いんですよ、ほんと。

ほとんどの人は、自分の目で地球が丸いことも観測していないし、論理的な積み重ねも類推もしていない。
船で世界一周した人でも客としてではそういうことは実感しにくい。
ただ、現在の科学ではこういうことが観察されていて、実際にこうだから、地球は丸くて、惑星のひとつで、太陽の周囲を回っており、そのような系は宇宙の中にいくつもあるありふれたものだと。
そう聞いて、そう信じているだけ。
科学者がそう言うんだから間違いないんだろうと。

それって、地動説を信奉してガリレオを迫害した人々と、結局のところ同じ態度なんじゃないでしょうか。
天動説を信じようが地動説を信じようが、人としてはどちらでも同じこと。
もちろん、現代の日本という環境の中で、いたずらに疑ってかかる必要はないと思います。
でも、自分でチェックできていないかぎりは「断言」したり他の意見を軽蔑したりはしたくない。
何かを頭から信じてしまうのはあまり気持ちが良くない。
そう感じるのです。

参考

スラッシュドットジャパンの記事