いつもと違う仕事にする

どうしてもモチベーションが上がらないときもあります。
そんなときは
同じ仕事でも
いつもと異なる方法にしてみるのが有効なこともありますね。

異なる道具を使うだけでもいいでしょう。ボールペンを万年筆にしたり。
異なるツールや用紙を作ってもいいし、
要は異なる仕事のような気分でできる手段を講じたら。
単純に手順を変えるだけでもいいんでしょう。
昨日はそれでうまくいきました。

自分を追い立てる手もありますね。
ストップウォッチソフトなんかを起動して小さな仕事ごとに時間を測りながらやってみるとか。
目標時間を頭の中で立てて、ただ測るだけでもずいぶん刺激にはなります。
3分とか5分とか設定できるタイマーだとさらにいいかもしれません。
ものすごく仕事が溜まっていたときにこの手でどんどんクリアしていったこともあります。
とてもキツいんですけど。

逆にエサで自分を釣るという手もあります。
ここまでできたらチョコひとかけとか。
効果的だけど、これって、クセになるんですよね。

TODOアプリで、小さく仕事を分けておいて、それごとにチェックを入れていって達成感を得るというのもいい手。
なのですが、先に仕事を入力しておかないといけないのがつらいところです。

ともあれ、そんなこんなで気分を変えてやるのがいいのでしょう。

公開するということ

公開することは後悔することだ。

なんてダジャレを言いたかったわけでもなく。

たとえばブログを書いて下書きで保存する。
それがほぼ完成状態ならもうあまり大きな変更をしようとは思わない。
でも公開した瞬間から「あ、あそこはこう書いとけばよかった」とか「これではわからんやろな」とかなり書き直すことになる。
すくなくともぼくの場合は。
人の目に触れるということはそういうことなのだろう。

人に読まれる見られるということを意識したときに初めてちゃんとしたものにしようという意識が出てくるのだ。
ものぐさなぼくの場合には。

だからなんだって公開する価値はあるのだろうとは思う。

選び方

選び方にはふたつある。

いいと思われるものを抽出していくか、
不要と思われるものを削除していくか。

ひとによって、どっちが向いているということはあるだろう。

ふたつの方法の差はボーダーライン上のものを選ぶときにあらわれるだろう。
いいと思われるものを抽出する場合ボーダーライン上のものは基本的には選ばれないものとしてそこにある。
不要と思われるものを削除していく場合には基本的には選ばれるものとしてそこにある。

後者の場合なかなか母体が減らないということになるのでけっこうたいへんだ。
ぼくはこっちの方かもしれない。
じっくりのんびりやってくことになる。

抽出していく方法を選ぶと楽になりそうだが。
この場合選ばれなかったものをバッサリ切り捨てていける思い切りがないといけない。
部屋の片付けなどはこれでないと結局無理だ。
こちらにはある意味ボーダーラインは存在しない。
マルかそうでないかだけだから。
またスピードが求められているときはこっちでいくしかない。

ぼくらは瞬間瞬間に選びつづけている。
あるいは選ばされつづけている。
それによって人生がかたちづくられていく。
些細なこと。
たとえばカレーにするかチャーハンにするか。
ここで横断歩道を渡るかスルーするか。
右を行くか左を行くか(これは大きいことかも)。
そんなこんなが積み重なってぜんぜん異なるものになっているのかもしれない。
単純ところでは横断歩道を渡ることによってA地点に1分早くたどりつき事故に遭うかもしれない。
そういうのでなくともビミョーな差が積み重なると大きくなるものだ。
異なる選び方を続けたぼくはどんなぼくだったろう。

選ばないという選択肢もある。
選ばないということも選択だ。
一見選ばない人は優しく見えるらしい。
じつは回避しているだけ、あるいはめんどくさがり屋。
草食系はこれに当るだろう。
ぼくも優しいとよく言われる。

まあ、仕事では選ばないという選択肢が許されないことが多いので苦しいですね。
選びたくなんかないのさ、ほんとうは。

「てきとー」を削らねばならない

ぼくは「てきとー」がとても好き。
でもこの仕事、「てきとー」を少しでも余分に排していくことができなければダメなんだなあ。
だのに会社じたいもかなり「てきとー」体質なのだなあ・・・。
やれやれ。